短編小説『夢追われ人の遺書』

死にたい人の短篇集

注意事項

 この話はフィクションです。
 陰鬱な要素が含まれておりますので、苦手な方はお気をつけください。

夢追われ人の遺書

届いた手紙

 僕のもとに届いた手紙。
 それは遺書であり、意書でもあった。

 夢を追っていた彼が、どうして夢に追われるようになったのか。
 手紙を読んでも、僕にはさっぱり理解できなかった。

 だけど。

 彼は自分のことを作家気取りなだけの厭世家ペシミストだと自称していたが……僕にとって彼は、紛うことなき創作者に他ならなかったのである。
 だからだろうか。悲しみよりも先に、僕はその決断を心底美しいと、そう感じたのだ。

爪痕

 これを読んでいるということは、私はもうこの世にいないのだろう。
 なんて、月並みな台詞から入らせてもらうよ。
 死ぬ前に一度、言ってみたかったんだ。
 いや。もう死んでいるわけだから、死んだ後に一度、かな。
 しかし死人に口なしというし、結局は生きていた頃の残響でしかないのだろう。

 まったく。ひどい残響しか残さない奴だよ、私は。本当に度し難い。
 しかし生き続けていてもそれは同じだろう。単に量が増えるだけだ。
 だったらここでスパッと、すべての元を断ち切っておいた方がまだマシといえる。

 スパッとだなんて思い切りのいい表現を使ったけれど、実際のところはそう簡単に決断できたわけじゃない。
 もちろん、やろうと思ったことは数えきれないほどある。ただ、思うことと実行することの間には何枚もの壁があるんだ。
 君がこれを読んでいるのなら、その壁が壊れてしまったということ。無惨にもね。

 そんな壁の崩落を自らの内のみに留めずこうして文章に落とし込むあたり、物書きというのは難儀な生き物だと思うよ。
 いや、自分のことを物書きと自称するなんてあまりに烏滸おこがましいか。
 所詮私は、作家気取りなだけの厭世家ペシミストだ。


 とまあ前置きはこのあたりにして、そろそろ本題に入ろうか。私にとっては、この前置きこそ本題みたいなものだけどね。
 君に話してはいなかったけど、私は数ヶ月前に仕事を辞めている。
 適応障害、というやつだ。医者からは休職を勧められた。

 そのことを会社に話したら、休職中も会社は社会保険料だのなんだのを払わなくちゃいけない、みたいなことを言われた。
 詳しい内容までは覚えていないけれどね。そもそもそんな余裕はなかったし。
 まあでも、空気の読めない私でもわかったよ。やんわりと退職を勧められてるんだなって。
 会社には恩義もある。これ以上迷惑をかけたくなかったから、私は仕事を辞めた。
 これからは夢に生きようと思ったよ。知っての通り、創作活動が私の生きがいだったからね。

 それでも駄目だった。

 創作活動してる最中は楽しいけど、その熱狂の分だけ絶望も深くなる。
 どうしようもないほどの揺り戻し。バッドトリップ。夢っていうのは麻薬みたいなものなんだなって気付いたよ。
 アーティストが薬にハマるのも、その本質が近いからなのかもしれない。

 結局。
 夢を追っているつもりがさ、夢に追われていたんだよ。

 その先で待っているのはブラックホールみたいに深い穴、タナトスという優しい闇だ。
 思えば子供の頃から、エロスよりタナトスのほうに私は惹かれていた。
 恋愛なんか、てんで興味もなかったしね。
 疾うの昔から私は、この穴の中心に引き寄せられていたのかもしれない。


 そんな感じの人間だったからかな。
 現実の物語を書こうとすると、途端に暗い話になるんだ。ファンタジーなら、明るい話も書けるのにね。
 だってそうだろ。現実にハッピーエンドなんて存在しない。幸せなんて言葉、一番のファンタジーじゃないか。

 だからさ。
 ファンタジーはそんな現実を覆い隠してくれる、優しく愛しい夢幻なんだよ。

 嘘は悪であるという道徳論があるけど、実際のところどうなんだろうね。
 私なんかは、真実の方がよっぽど悪だと思うよ。
 真実がこの現実じごくつまびらかにする光なら、嘘幻はそれを見えないようにしてくれる闇だ。
 闇より光の方が残酷なのは、言うまでもないだろう?

 真っ白なあくに、身体を焼かれているんだ。
 自身の醜さを、突きつけてくるんだ。
 優しいおわりで消火しなくちゃ、やってられないよ。

 ねぇ。

 自殺したら地獄行きだ、なんて宗教もあるけどさ。
 地獄なんてものがあるとすれば、それはこの世界のことだろう。

 こういうことを言うと、世界は美しいんだと返されるかもしれないけど。
 じゃあ、私が醜いから、世界も醜く見えているだけってことかい?
 だったら、なおさら私は死ぬべきだ。
 醜い者が消えて、世界は美しさを取り戻すのだから。

 この返しは、少し意地悪すぎるかな。
 どっちが? どっちもだよ。


 ああ。こんなことで悩んでいる自分が、何より嫌いだ。
 世界には明日食うものすら覚束ない人間だっているのにさ、この日本という資源が恵まれた国に生まれておいて、情けない。
 そんな私には、やはり生きる価値などないのだと思うよ。

 悲しむ人がいるのに、自ら死を選ぶなんて自分勝手だ。うん、そうなんだろう。
 でもさ。そんな言葉を平然と言ってのける人間のほうがよっぽど心無いと感じてしまうのは、それも自分勝手かな。自分勝手なんだろうね。
 それでも。死ぬほど追い詰められている人に対して自分勝手だなんて宣う糞野郎になるよりは、自らを殺す愚を犯したほうが数兆倍マシだと思う。

 愚とわかっているのならやめろって? やめたいよ。でもやめられないんだ。
 そういうことって、あるだろう?
 生きたいけど物理的に生きられない人がいるのと同じように、生きたいけど精神的に生きられない人もいる。それだけの話さ。

 死にたいんじゃない。本当は生きていたかったけれど、生き続けていくことに耐えられなかっただけ。
 死ぬ勇気があるのなら生きる勇気も持てるはずだ、なんて。そんなわけあるか。真逆じゃないかよ、そんなの。

 なんだか単なる愚痴の羅列になってしまったね。
 うん、君は驚いているのかな。生前、愚痴の類は言わなかった私だ。思えば、聞き手役にまわってばかりだったね。
 素直に愚痴を吐ける君たちを、どこか羨ましく感じていた。この手紙はその反動さ。
 こんなこと言われても困るよね。私が勝手に、本心を繕ってきただけなのに。

 うん。本当、勝手だ。負けてばかりな人生だった癖にね。
 生きているうちにこれくらい言えたらよかったのかもしれない。死ぬと決めなければこんなことも吐き出せないなんて、わかってはいたが私はあまりに臆病だ。
 これ以上生き恥をさらすわけにはいかないね。なのでこれから、死に恥をさらすのさ。


 でも、最後に⋯⋯いや、最期にひとつだけ言っておくよ。

 私は別に、誰かを恨んで死ぬわけじゃない。何かを嫌って死ぬわけじゃない。
 恨んでいる、嫌っているものがあるとすれば、それは自分自身だけ。
 だってそうだろ。憎しみの対象があるとすれば、銃の乱射なりしてから死ぬだろうし。

 自分ひとりしか殺さない──なら、その対象が自分だけであることは明白だ。
 嫌なこと、理不尽なこと、それを人のせいにできなくて、ただ自責の念へと変えるしかなかった⋯⋯滑稽な奴だと笑ってくれ。

 はは⋯⋯笑えないか。うん、本当に笑えない。あれだけ自分を嫌いだと言っておいて、これじゃあまるで自己弁護してるみたいだ。
 読み返せば、自分に酔った文章ばっかりで嫌になる。
 自分のこと嫌いなくせに、自己愛の塊なんだよ、私は。これこそ笑えない事実だね。

 くそ、終わろうとすればするほど、書きたいことが湧いてきやがる。ダラダラと蛇足を綴るのは、私の悪い癖だ。 
 今度こそ本当に終わらせるとしよう。この手紙も、私の人生ぶざまも。

 願わくば君の心に爪痕を残せますように。なんて、最高に最低な私の感傷ごと──この手紙は破ってゴミ箱にでも捨ててくれ。

 それじゃあ。

 未練がましくおさらばするよ、世界。

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